COLUMN

2020.08.26

超災害に対応する住宅の新しいプロトタイプ『神水公衆浴場』

新規に銭湯経営を始める

「銭湯をやりたいんですけど…」という依頼を受けたのが2018年の夏。建主は熊本市在住で、今回の構造設計者でもある。「なぜ銭湯をやりたいんですか?」と聞くと、「2016年の熊本地震の時、地域のみなさんがお風呂で苦労していたから」と言う。建主自身も熊本地震で住んでいたマンションが大規模半壊し、区分所有法により解体せざるを得なくなったので、今回の住宅建設を決めた。実際のところ、戦後から高度成長期において地域の公衆衛生を支えてきた銭湯(公衆浴場)は、各家庭に水回りが充実した現在、都市機能的には「なくても不便はない」存在となった。必然的に近年の銭湯経営はそう簡単ではなく、地元の保健所によると廃業する銭湯は多いものの、新規で営業を始める銭湯は記憶にないという。それでも災害時の地域のことを想い、銭湯をやりたいという建主の心意気に、僕は心から共感した。

銭湯の現代的意義

 日本中どこに行っても、銭湯は間違いなく「絶滅危惧種」だ。それにもかかわらず銭湯ファンは実に多く、現場の前を通り過ぎる地域住民の人びとも、銭湯ができると聞くと、声を揃えて楽しみだと言う。そこで僕が日頃から考えている銭湯の現代的意義を整理してみたい。そこが明確になれば、一定のニーズがあるわけだから、銭湯の事業性を担保するための方法が自然と見えてくるはずだ。
 ひとつ目は、銭湯近隣の遊休不動産の活用促進だ。人口減少時代に突入してから、空き家の数は急激に増え続けている。特に地方都市にとって空き家問題は深刻で、その利活用方策が都市再生戦略において大きなテーマとなっているが、リノベーションのための投資で最もコストがかかるのが浴室やキッチンをはじめとした水回りである。特に、古くても魅力的な古民家や木賃アパートなどを、たとえば賃貸住宅や宿泊施設の客室として活用を計画する場合、その初期投資額が事業性を大きく左右するが、近隣に銭湯が存在することで、水回り改修への投資を軽減できるため、その物件への投資の大きなインセンティブとなる。つまり、銭湯の存在が、周辺の不動産の価値を上げ、それを面的に展開できればエリアの価値向上にも繋がる。例を挙げれば、まち全体をひとつの宿と見立て宿泊施設と地域の日常をネットワークさせ、まちぐるみで宿泊客をもてなすことで地域価値を向上させていく「まちやど」が好例だ。イタリアのアルベルゴ・ディッフーゾを参照した日本版で、大浴場=銭湯、食堂=飲食店、文化体験=街のお稽古教室、お土産屋=商店街、レンタサイクル=自転車屋さんと行った具合に、元々存在するエリアの魅力が再編集され情報として広く伝わると、自然にそこに人が集まるようになり、都市再生への道筋が見えてくる。銭湯経営も周辺の遊休不動産のリノベーションによる賃料収入と合わせて事業化し運営を行えば、その事業性が見えてくる。神水公衆浴場然り、銭湯という存在は見立てによっては、これからの地方都市再生の強力な切り札のひとつとなるように思う。

 二つ目の意義は、まさにオーナーの想いに重なる、災害時の避難所機能の一部としての公衆浴場だ。なんとも皮肉なことにこの原稿を書いている最中の7月4日、熊本県を豪雨が襲い、球磨川流域をはじめ九州各地で河川の大規模な氾濫が発生した。地球温暖化を原因とした異常気象の影響だろうか、近年、全国各地で毎年のように豪雨による河川の氾濫や台風被害が相次ぎ、加えて東日本大震災・熊本地震から続く地震被害など、日本は“超災害”大国になりつつある。今後おそらく、河川や土木構造物の構造基準の見直しが予想されるが、コロナ禍対応もあり日本全体が財政的に逼迫している状況を考えると、基準を見直したところで国土全体の改修は非現実的であるし、都市再生特別措置法で災害ハザードエリアからの居住機能移転促進も目論むが話はそう簡単ではない。そう考えると、災害が発生することを前提に、まずは我々自身が災害に備える暮らしを日常化することが先決だ。
 近年の増大する災害規模を想定すると、行政主導の避難所整備等だけでは限界があることは明らかで、地域主体で災害時対応ができる新しいモデルが欲しい。どこでどのような被害が発生するかが予想しにくい状況下では、集約的な避難所整備よりも、小さくても地域全体に数多く散らばる拠り所が必要なのではないか。たとえば、キッチンは道路に面して、災害時は炊き出しの場に。リビングはお互い様の精神で雨風をしのぐ小さな地域の避難所に。浴室やトイレは共同の水回りに。熊本地震を経験した建主の想いによって開かれたこの神水公衆浴場は、まさに超災害時代に力強く地域を支える新しいプロトタイプとなる住宅だ。地域の人々が日常的に利用する銭湯は、毎日が防災訓練のようなもの。災害時にはきっと高い防災力を発揮するに違いない。

こどもたちの未来を豊かに育む銭湯暮らし

 計画は、1階が銭湯、2階が住居というシンプルな構成だ。ただ、僕が面白いと思っているのは、2階住居に浴室がないことだ。住宅の玄関は番台、玄関前は国道の歩道からセットバックした縁側のような空間だ。1階銭湯は住宅の浴室も兼用しているから、公共的な意味合いを持つ銭湯が、最も私的な居住空間の一部となっていて、公私の境界が極めて曖昧な住宅である。建主一家は、長女が7歳、四女が0歳という4人の女の子たちがいる家族構成で、引越し後は、おそらく家族全員が地域の大人たちや友達と一緒に風呂に入ることになる。お風呂という最も私的な暮らしを、地域と共有しながら過ごすことで、どんな大人に育っていくのだろうと考えると、子供たちの将来がとても楽しみだ。  地名は神水(くわみず)。「くわ」とは細やかに美しいという意味の古語とのこと。この付近は、昔から湧水が多く、この一帯が自然の神の恵みを受けた水の聖地ということから、神水という名がついたと伝えられているそうだ。「神の水」につかれるお風呂を舞台にして、コロナ禍や頻発する自然災害時にも負けない地域の地縁コミュニティが醸成されていきそうな予感がする住宅だ。

(西村 浩)

撮影│小川重雄 

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