「蔵」は男のロマンである-その2

こんばんは!田村です。
前回のBLOGからスタートした「喜多方|男のロマン」シリーズ。

第1回はコチラ ⇒ http://www.workvisions.co.jp/weblog/2013/05/31/%E3%80%8C%E8%94%B5%E3%80%8D%E3%81%AF%E7%94%B7%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%EF%BC%8D%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%91/

予告では「蔵のお洒落」について書こうと思っていたのですが、
予定を変更して、今回は国内で「唯一」、現在でも年に何回か稼働しているという、「瓦」「煉瓦」を焼成する
貴重な登り窯を紹介しようと思います。

平成19年、経済産業省によって選定された33の「近代化産業遺産群」の中に、
喜多方では「建造物の近代化に貢献した赤煉瓦生産などの歩みを物語る近代化産業遺産群」として、
9つの煉瓦造構造物が選定されました。

そのうちのひとつがこの「登り窯」です。

明治23年、旧樋口窯業の前進となる初代 樋口市郎氏によって設立されました。
この樋口氏、よくよく調べてみると、元来は新潟県出身の「瓦成形師」で、新潟から喜多方の若木家(※後述)に
出稼ぎに来てたのであろうと伝承されています。
やがて喜多方の地に定住し、瓦を焼き始めたのが明治23年と伝えられているので、
煉瓦を焼きだすのはもう少し後のことではないかと思われます。

そんな樋口氏が39歳の時、東京で修業を終えた煉瓦積工、田中又一氏(21歳)とともに
喜多方市の岩月小学校西校舎を手がけたことがきっかけで、明治35年に最初の煉瓦製造のピークを迎えたようです。

では、その貴重な登り窯の内部をご案内しましょう。
まずは入り口前。

窯の燃料となる大きな薪材が豪快に積まれています。

入り口から中に入るといきなり大迫力の登り窯!

とにかくスゴイ!!
こんなに大きくて立派な登り窯は初めてみました!
東京に戻ってすぐ文献を調べてみると、ありました!
日本煉瓦史の研究における第一人者、水野信太郎先生の著書、「日本煉瓦史の研究」の中に、
水野先生が描かれた図面と解説!!


この図と解説によると、上部の「最後尾に大きな屋根瓦用素焼き窯を1房もつ」とあります。
ちなみに、各房は、「大口」(焚口)に近い下の段から順に「ひとつめ」「ふたつめ」「みっつめ」・・・と呼ばれ、
「ひとつめ」に限って『はいがま』とも言われるそうです。
その『はいがま』がコレ。

1房あたり煉瓦が950本焼ける構造になっていて、1回の火入れで焼成される煉瓦の数量は9倍の約8,550本!!

朝の8時に点火して、午前中いっぱい大口で焚き続けて、午後から1房あたり3時間~3時間半を費やして薪をくべるのだ
そうです。

薪は各房の両脇にある「障子」と呼ばれる燃料補給用の小窓から投入!

この作業を翌日の夕方まで続けて、「ここのつめ」まで燃焼させて完了!
瓦用の素焼き窯には直接薪を投入しなくても、自動的に素焼きができるというわけです。
窯出しはまた翌日、房内の温度が100℃まで下がったところで始まります。

従来の登り窯との大きな違いは、通常、登り窯の場合は焼成温度が700度から800度程度であるのに対し、
この窯の場合は初日の11時頃まで重油バーナーを用いて窯の内部を熱するので、最高温度が1200度にまで
達します。
1200度と言えば、現在の煉瓦の焼成温度と同じ。
その上、驚いたことにここでつくられる煉瓦は「施釉」なのです。
冬季の厳寒にも耐え得るためだと考えられますが、なんとその釉薬は栃木県の益子の釉薬だといううのだから
びっくり!
煉瓦1本1本に手作業で釉薬をかけていくなんて、途方もない作業です。
さらに現在でも年に数回、この登り窯による焼成が続けられているというのですから。。。

そんな登り窯で焼成された煉瓦は喜多方に現存する立派な煉瓦造の蔵に積まれていました。




初代 樋口市郎氏が出稼ぎに来ていたと言われている若木家の煉瓦造の蔵です。
文化庁によって「登録有形文化財」に認定されていました。

旦那様の蔵をつくるために、登り窯をつくってしまった樋口市郎氏、
そしてその登り窯による瓦と煉瓦の製造で立派に財をなした樋口家。

これもやっぱり「男のロマン」です。

きょうはこのあたりで。
それではまた。
< Yukari Tamura >
 


 

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