「戦時設計」という言葉

こんばんは-!田村です。

きょうは、つい先日解体され、新たな事実が明らかになった北海道函館市の鉄道橋「蓬内橋」について書きます。

実は、Facebookでも以前、ちょっとだけ書いたことがあるのですが、
昨年の11月、函館を訪れた際に見に行ったのですよ、戸井線のアーチ橋「蓬内橋」。

北海道の鉄道線には昭和初期に建設された斜里郡斜里町の「第一幾品川橋梁」や旧士幌線の「アーチ橋群」など、
多くのアーチ橋が残されていますが、実はこの戸井線のアーチ橋「蓬内橋」は、『未完成』の鉄道線。

建設開始は、日中戦争が開戦した1937年(昭和12年)、函館五稜郭から湯の川を経由して函館市浜町までの約29kmの
単線で、海峡防衛のために汐首岬に設置されていた津軽要塞への兵員輸送や物資の補給のための軍用鉄道として計画
されました。

ところが1944年(昭和19年)の完成を目指して突貫工事が終点まであと少し!という地点まできて、
なんと前年の1943年(昭和18年)に戦況の悪化によって中断されてしまったのです。
もともと軍用鉄道として計画された鉄道だったために、戦後も結局工事は再開されず、結局一度も使われることが
ありませんでした。

まさに、『幻の鉄道』だったのです。

他にも海岸線に迫った山間部を通る路線には、4箇所に架けられたアーチ橋があり、
いずれも戦時下の物不足のさなかで、かなりの難工事の上、深刻な鉄不足のために現地の砂利や木、竹を使った
「木(竹)筋コンクリート橋」であったと言われていました。

実はこの橋を見に行って、アレコレと歴史を調べたりして、私が初めて知った言葉-『戦時設計』。
皆さんはこの「戦時設計」という言葉、ご存知でしたか?

戦時設計とは、戦争が行われている期間中に「戦争が終わるまでの数年間もてば良い」という思想の下、
極端に短いライフサイクルを想定して設計されたことを言うそうで、
戦時期には、使用する物資、工程を最小限に抑え、なおかつ短期間で大量生産するという命題を達成する目的で
耐久性や安全性がある程度犠牲となった構造物がたくさんあったのだそうです。

特に金属類は当時の日本では生産力が低く、いかにして使用量を低減するか?が最重要課題だったようです。

そんな訳で、「戦時設計」の代表的な工法=「木(竹)筋コンクリート」や「木造トラス」ということになるのですね。

「戦時設計」。。。これもまたすごい表現です。

そんなまさに「のっぴきならない時代」に造られた「蓬内橋」が、先日老朽化による崩落の危険性があるとの理由で
とうとう解体されてしまいました。

そして解体されて初めて明らかになった新事実。

なんと『無筋コンクリート造』!!
補強材、一切ナシ!!

それでも圧縮強度試験では現行の基準より高い値だったのだそうです。

【3月27日付 函館新聞より】

この事実もまた「戦時設計」の歴史を新たに塗り替えることになるのかも知れませんね。

いまにして思えば、この貴重な遺構が壊されてしまう前に、ひと目見ることができて本当によかった。
私が撮った写真も陽が暮れる寸前に到着して、タイムリミットぎりぎりで撮った貴重な写真となりました。

圧倒的な迫力でそびえ立つ橋脚。一体人力だけでどのようにして建設したのだろう???と思うと、
知恵もパワーも昔の人には到底敵わないような。。。

本当に昔の土木構造物には、壮大なロマンを感じます。

いま私の中で秘かにマイブームな「土木遺産」。

これからも機会を見つけてあちこち見に行ってみたいと思います。

それではまた。

< Yukari Tamura >

Posted in 土木, 歴史, 記事.